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仔羊さん、はじめまして。
袁軍が壊滅したから張コウが投降したというのは張コウ伝の記述ですよね。
しかし武帝紀や袁紹伝では物事の順序が違っていると裴松之は指摘しています。
張コウ伝の側が本人を美化するために改竄しているというのが通説になっているようです。
また、ご指摘のように、曹操は烏巣以前からしばしば袁軍の補給路遮断を試みています。
それを踏まえて、これまで韓猛らが破られても特に問題がなかったのに、
なぜ淳于瓊が破られたときだけ袁軍が崩壊したのかを、説明する必要があると思います。
なお、烏巣の袁軍は一万人で、これを僅かな兵とするのはちょっと言いすぎでしょう。
わたしは補給路を断つという一般的なアイデアを否定しているのではありません。
烏巣では見込まれる効果以上に大きなリスクを冒したのではないかということです。
また、戦線を縮小すること自体を問題視しているわけでもありません。
単に白馬堅守に失敗して圧迫を受けて後退しているに過ぎないのに、
史書では戦勝したかのように粉飾して書かれていることを指摘したうえで、
けっきょく連戦連敗で官渡に押し込められるほど、対応にちぐはぐさが見られるのは、
曹操の諸々の判断には間違いが多かったからではないかと疑問を呈しているわけです。
おっしゃるように官渡への集結でもって袁軍を防いだことを評価するのであれば、
なぜ開戦当初からそうしなかったのか、それを説明する必要があるのではないでしょうか。
はなから白馬を放棄するつもりなら、なぜ顔良に挑戦する必要があったのでしょう?
↓この辺にもちょろっと書いたので、よろしければご笑覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20070305/p1
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