哲学カフェ in 有瀬



カテゴリ:[ 子供/学校/教育 ] キーワード: 哲学カフェ 神戸学院大学


144件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[147] テーマ

投稿者: 松井 投稿日:2018年 7月13日(金)00時08分18秒 KD113148228115.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

東村さん、コメントありがとうございます。

前回のテーマについては、もちろんあれで議論が尽きているわけではないし、
私自身の意見も言い尽くしているわけではありませんが、
それこそ書き出すとキリがないので、それはまたの機会に。

さて、次回のテーマですが、東村さんが以前から提案されていた「現実と非現実」
に決定したいと思います。

振るってのご参加、お待ちしております。




[146] 先日の感想

投稿者: 東村 投稿日:2018年 7月12日(木)11時38分57秒 58.191.147.90  通報   返信・引用

皆さま、先日はありがとうございました。
御礼と感想の書き込みが遅くなってしまい、申し訳ございません。

兵庫に越してきて早一年半、こうしたフランクかつシリアスに議論できる場にいられるのは久方ぶりで、
非常に心地いいものでした。

さて、先日の議論を踏まえ、未だに考えているのが、「生命の帰属主」の問題です。
松井さんは「誰のものか分からないから捨ててはいけない」と仰られましたし、事実、その当時は私もそれに納得していました。
ですが、ある程度時間を置き、冷静になって考えてみると、それは「命に価値がある」という前提条件が隠れているのではないか、と思うのです。
「誰のものか分からないから捨ててはいけない」、ですが自分の部屋や会議室、自分が認識しうる範囲内に、
明らかに自分が生み出したものではない、つまり自分のものではない消しゴムのカスや外したホッチキスの針、犬の糞等があったら如何でしょう。
それを捨てたところで誰に文句を言われるでしょう。
私にとっての生命とは、その程度でしかありません。

無論、「だから他人を殺しても文句は言われない」などと主張するつもりはありません。
議論の場でも出ましたが、法治国家である日本で暮らす手前、我々は法を遵守しなければなりませんし、犬の糞を捨てた程度で何年も刑務所に行くのはあまりに馬鹿らしい。
それに、私は「命≠人間の価値」とは思っていません。
第一に、言うなれば、生命はガソリンです。ガソリンがないからと言って、車やバイクの価値が下がるわけではありませんから。
第二に、私は命そのものに価値はないが、知り合った個人には価値がある、と考えています。

私なんて、所詮自分の世界を離れられない卑小な生き物ですから、自分の世界に入ってきた方々の価値は信じています。
こんな生き方しかできませんから、破壊的な発言で当日は気分を悪くされた方もいらっしゃったかもしれません。

さて、次回の参加が許されるのでしたら、「存在と非存在/現実と非現実/ノンフィクションとフィクション」等々、『実像と虚像』のテーマだと嬉しいな、と考えております。
乱文失礼いたしました。
その点は謝罪申し上げます。



[145] 日程決定

投稿者: 松井 投稿日:2018年 7月 6日(金)00時12分24秒 KD113148228115.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

次回哲学カフェ,日程と会場が決定しました。

8月26日日曜日   12時半~17時

会場:西宮市男女共同参画センター 415学習室
https://www.nishi.or.jp/access/sonotashisetsu/danjokyodo/danjokyodocenter.html

今回は少し大きめの会場を取ったので、知人の方などを連れてきていただいても構いません。
参加を希望される方は松井までご一報ください。

なお、本哲学カフェは、主宰者である松井の元ゼミ生を中心とした集まりですので、
「松井本人もしくは既参加者の知人」以外の参加は出来ませんので、ご了承ください。



[144] 次回哲学カフェ

投稿者: 松井 投稿日:2018年 7月 3日(火)16時33分24秒 gate-a2.kobegakuin.ac.jp  通報   返信・引用

そろそろ次回の哲学カフェ日程を決めたいと思います。

今のところ8月26日日曜日はどうかと思っています。
今ならまだ会場が予約できるので、「できれば他の日がありがたい」
といった希望があれば、お知らせください。

希望等ありましたら、私まで個人メールでお送りください。



[143] 現実的な議論

投稿者: 松井 投稿日:2018年 5月28日(月)19時56分7秒 KD113148228115.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

「み」さんが書いておられることは、きっと現代の主流なのだろうと思います。命に関する自己決定権ということを考えた場合、他者にその決定権がないことは当然で、問題は「どこまで」ということになるだろうからです。そういう意味では、「自己決定権がないかもしれない」という議論は、現実離れしたテーマかもしれません。カフェの時にも言いましたが、私自身は、「命に関しては誰も所有権を主張出来ない」と考えていますが、それを現代の生命倫理学の個別テーマに即して主張しようとは思いません。それは、理屈としては考えるべき事柄であると思いますが、「現時点で」現実的な意味を持つとは思えないからです。その点は私自身、分かっているつもりです。ただ、あのときの話でも明らかなように、私達は、あまりにも「私の命は私のものだから、全面的に好きにして良い」という考え方に慣れすぎています。少なくとも私は、本人が望むのであれば自殺は問題なし、とは思わないのです(今後、こういう考えは少数派になる可能性が高いですが)。

現代では、問題にならないような主張であっても、100年後、200年後にはスタンダード、つまり正論として受け入れられているかも知れない。そういう可能性までも含めて議論するのが、哲学の仕事だと私は思っています。



[142] 「滑りやすい坂道」について

投稿者: 塩焼きそば 投稿日:2018年 5月28日(月)17時29分32秒 KD111239040189.au-net.ne.jp  通報   返信・引用

坂道の比喩について改めて整理しておきますと、
安楽死の条件が、最初は高く設定して(=坂の頂上に)あっても、
坂道を滑り落ちるように、次第に条件が低くなっていくのではないか、ということでした。
つまり、下に行けば行くほど無条件に近くなり、最下部では全くの無条件という設定です。

最下部では「本人の意思」という条件もありませんので、
「本人が望みさえすれば安楽死ができる」状況とは異なります。
「本人が望みさえすれば安楽死ができる」状況は、
頂上から相当滑り落ちた位置ではありますが、最下部ではありません。

また、どの条件から、どのように緩和・撤廃されていくかは、
導入国の前例から推測することはできるでしょうが、
実際に導入してみなければ確実にはわかりませんし、
最も残り続ける条件が「本人の意思」になるとも限りません。

最後に、「すべり坂」の比喩において最下部をどこに設定するかは、
同じ安楽死の議論であっても、人によってまちまちですので、
他所で同様の比喩を見かけられた際には、ご注意ください。



[141] 昨日は

投稿者: 投稿日:2018年 5月28日(月)00時36分31秒 p994052-ipngn200706kobeminato.hyogo.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

安楽死がテーマだと聞いて、取り入れたことを前提に最終的には健康な若者でも選べるようになるではないのか、的な方向に話が進んでいくのかなと漠然と考えた上で昨日は参加しました。
ですので、あんなに取り入れるか否かについて真剣に考える会になるとは思わず……(笑)
もちろん制度的な話はこれを語る上で最低限必要だろうと思い、多少知識として取り入れてから臨みこそしましたが、きっと社会的に制度として取り入れる云々よりはもっと死生観・倫理観がぶつかりあう場になるのかと思っていたので論の流れがちょっぴり意外だったな、というのが率直な感想です。
自死についての意識について冒頭で質問しましたが、まさにあのままあの議題が主になるのかと(甘かったですね)

各々がどちらか立場に立って意見を述べるのも、それはそれで久しぶりにすることでしたし、楽しく感じました。
ただ、死や倫理的なことは、どうしても幼い頃から思考に思考を重ねている事柄でもあり、長い月日を経てたどりついた今を以て語ってしまうので、どうしても柔軟になりきれませんでした。それは哲学カフェに参加しているのに勿体無い姿勢だったかな、と思い返しております。

それと、昨日一日を通してそこはやはりそうなんだ?おっとこれはわたし少数派だったのかな、と思ったのが、安楽死制度が適用される幅が広がることに関して皆さん懸念されていたところでした。
結局わたしは安楽死が制度として広い範囲に認められることが悪いことだとは最後まで思えませんでした。昨日も言いましたがこの「悪いことではない」はあくまで個人的主観としての話です。みんなが簡単に合法で死を選べてしまったらこの自殺大国の日本が終わらないわけもないですし()、国家の運営自体に大打撃を与える可能性はあるでしょう。そういった経済的・社会的な観点から見ると軽率には言えないよな、とは思っています。わたしみたいに、みんなが「しにたいなら勝手にしねばいいじゃん」思想を持って、排他的になったらそれこそ世紀末ですしね。

安楽死について賛成か、反対か、は社会的な側面を度外視できないので一概に語れず難しいけれど、わたしは誰しもみんなに死を選ぶ権利も与えられる社会であってほしいと思います。
日常的に死の匂いに触れることなく生きているので、自らの(そして周りの人の)死をどこか非現実的な出来事としてリアルとは結び付けずに捉え、口先だけでこんなことが言えているだけなのかもしれません。わたし含めて今の若者ってそういう側面もあるから、楽で簡単にできるようになってもなんだかんだ選ばないんじゃないかな、みんな、なんて思ったり、心のどこかで願ったりもします。

最後に、少し論点はズレるかもしれませんが……
もし安楽死が合法化され、広く浸透したとしたら、死の匂いが日常的にかつ平和的に(無差別な殺人が流行るわけではないので)秩序の上で満ちて、わたしたちも死を今より身近な現実として捉えることができるようになるかもしれませんよね。死をリアルに捉えられるようになるプロセスとしての安楽死合法化も「よくない」ものなのでしょうか。そしてこの状態が仮に起こったとしたら滑り坂の下の状態なのでしょうか。

思慮浅さが滲み出る文章ですが、以上がわたしの感想です。
長々と失礼しました。
また、次回のテーマは「ふつう」って何なのか、とかいかがでしょうか。
開催がもう少し先なのでまた関心ごとが移っているかもしれませんが、皆さんが社会的な視点も持ち合わせた方々であることは今回強く感じたので、「ふつう」論、おもしろそうだなあと思います。



[140] 本日の感想です

投稿者: 塩焼きそば 投稿日:2018年 5月27日(日)00時02分45秒 58-190-184-253f1.hyg1.eonet.ne.jp  通報   返信・引用

皆さん、本日はお疲れ様でした。
カフェの感想を、先にFacebookの方に日記的に書いてしまいましたので、
それをほとんど丸々貼り付ける形になりますが、ご容赦ください。

安楽死は以前から気になっていたテーマではありますが、関連ニュースをチェックする程度で、本格的に勉強して考えるということをして来なかったので、提題した日からは、図書館にある本、学術論文、およびネットで発信されている記事や個人の意見等等を読んで、考えをまとめてきました。

自分の考えをまとめて、それで終わりというのだったら哲学カフェの意味がないので、その考えに対してどういうリアクションがあるのだろうと期待しつつ本日を迎えたのですが、多様な価値観の真摯な参加者に恵まれ、予想を質・量ともに遥かに超えた反応をいただけたおかげで、今回このテーマを取り上げてもらえて本当によかったと感じました。
と同時に、様々な観点から自分の考えを吟味したり、他の人にも伝わりやすくするための表現や具体的な事例について、事前にもっと準備しておくべきだったと後悔もしています。

ちょっと面白かったことの一つは、最初に提題者として発言する際に、「人の死に関わるデリケートなテーマなので、言い方も大切ですが、できる限り本音で語って欲しいと思います。」と言う予定でいたのが、全く同じことを先生に先に言われたことです。
頭の中にあった文言とあまりに同じだったので、思わず笑いそうになりましたが、提題者とはいえ、一人で喋り過ぎてもいけないと思っていたので助かりました。こういったアナウンスや議論の整理を、程よい塩梅でしていただけたこともあって、今回の哲学カフェは、私にとってこれまで参加してきた中で最高の回でした。

カフェの終盤に先生からお聞きした、「何かが誰かの所有物であるとはどういうことか?」からの「命は誰の所有物でもない」という衝撃的な議論は、安楽死の問題に限らず、命を持つ他の動植物への態度として、今の自分や社会のあり方はどこまで正しいのかといった、他の様々なテーマに影響するのではないかと、帰り道で、そして今も反芻し続けています。

カフェの開催頻度や、同一のテーマが続けて扱われることはまずないであろうことから、次にこのような場で他の人達と安楽死について考えるよりも先に、実際に導入されそうになる制度の是非や、(自分を含めた)身近な人の安楽死を一人で考えることになるのでしょうが、そんな時も今回の経験が心強い味方になってくれると確信しています。



[139] 本日のカフェ

投稿者: 松井 投稿日:2018年 5月26日(土)22時47分57秒 KD113148228115.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

本日開催の哲学カフェ、私も含め十名の参加でした。

テーマが「安楽死」ということもあり、
いつも以上に哲学的な議論が展開され、
皆さん、頭をフルに使われていたようです。

安楽死を認める人、認めない人がいる中での議論でしたが、
それぞれに本音をぶつけ合う、良い議論だったと思います。

時々私が、必要な概念の区別などを説明しましたが、
かなり微妙な概念の使い分けについても、
それを面倒なことと考えるのではなく、
真剣に受け止めていたのが印象的でした。

抽象的な哲学用語は殆ど使いませんでしたが、
普段の言葉遣いであっても、言葉の使い方に
細心の注意を払えば、議論が精緻なものになる
ことは参加者のほとんどが理解していたように思います。

私も、久しぶりに哲学的な議論ができて楽しかったです。

次回の開催期日は未定ですが、
7月初めか、8月始めにしようと思っています。
話してみたいテーマなどあれば、是非、
こちらに提案してください。

また、今日の感想なども是非こちらに書き込んでください。



[138] 哲学カフェ

投稿者: 松井 投稿日:2018年 5月25日(金)15時53分4秒 KD113148228115.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

哲学カフェ at 西北、明日に開催が迫ってきました。

まだ定員に余裕がありますので、参加を希望される方は私までご一報ください。


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